セキュキャンに落ちた人でないなら絶対にみないでください。記事が駄文すぎて5000兆円欲しくなってしまいます。

※タイトル通り駄文
です。
セキュキャン落ちました。

正直なところ、万に一つも受からないだろうなとは思ってた。
去年の回答を色々な方々がブログ等にアップしていらしたので、受かってた人と落ちた人と事前に比べてはいたんですね。で、自分の回答を書いてる途中で






あっ、これは受からんな






と。


具体的に自分は受からないだろうと思った点を挙げていくと、

今まで作った物について書いている量(というか書ける量)が違う

受かる人は内容も含めて、かなり入れ込んでやってるんやろなぁ、と。githubにソースを上げたり開発期を書いたりとかしてるしもうここから違うよねと。

合格者は技術系の問題を解いてる

(去年は問題が選択だったので)手を動かして考えて解く問題を2、3は解いてる印象があった。今回のを例に挙げるなら、選択問題のpcap形式のパケットの内容を見て考えるやつとか、printf関数とfork関数について、「手を動かして」考えてわかったことを書くとか、.NETアプリケーションの文字列抜き出すプログラムを書けみたいな問題を解いている感じがある。

合格者はブログとかしっかり書いてる

これは特に感じた部分。もちろん回答を上げてる以上ブログを書いてるわけだけども、合格者の大体はブログとかに「自分の考えてること」「自分が何をして、何を判明させたのか」を普段から書いているように思う。
これは池上彰も書籍で述べてる通り(本のタイトルは失念しました・・・)ブログ等で自分の考えていることや理解したことをアウトプットすることで、(意識的にやっているのかは別として)自分に定着させることを行っているのだと思う。セキュキャンの選考委員会の方は多分この辺は特に見ているんじゃ無いかと思う。










あっ、これは受からんな(二度目)


で、これらの点どれを取っても自分には足りないものだなぁと痛感したよね。

アウトプットひとつをとっても(というかこれが特に自分に刺さった)、TL上を流れていくだけのTwitterではじっくり考えられた反応も無いし、evernoteに書くだけでは自分で後で時折思い出したように読み返して「あー多分そうだな?うん。」と流してしまうだけで全く意味が無い。書いた記事に反応があるかどうかは別として、ブログ書くことってのは文章を考える手間が必要だから、「必要な情報だけをじっくり考査した上で選択して」「文章に起こす」プロセスだけでかなり定着するんだろうなぁ。

技術的な能力の不足に関しても、そんな努力に裏打ちされたものが無かったから時間をかけても解けなかったのかなと思った。どんな書籍や参考サイトを読めば解決するかとか、そういう問題じゃなく、自分で手を動かして考えることを鍛える上で、ブログでアウトプットするのは有効なんじゃないかなと。

自分は今回、選択課題のPEパーサ作成に二週間以上の時間を割いて取り組んだにもかかわらず結局は解けなかったわけだけども、この課題を解こうとする過程でかなり多くのことを学べたと思う。PEファイルヘッダの構造を読み解くうちに、なんで今まで「どうして実行形式のファイルが動くのか?」に疑問を持たなかったんだろうと思ったし、読み進めていく上で、ファイルの構造とかファイルの種類を識別するためのマジックナンバーがあることなんてのも知って、他のファイル形式のパーサとか作ってみようかな、なんて思ったりもした。手を動かして、アウトプットして疑問を持って、手を動かして・・・というサイクルを効率良く回す、もしくは回し続けるためにアウトプットがいかに重要な部分であるかということを学べた。今回のセキュキャン応募はいい機会だったと思う。今回の反省を活かし、今後も精進していきたい。









惜しむらくは、自分の年齢では来年はセキュキャンに応募できないという点である。もう一年くださいなんでもしますから